3

 蒸気が漏れる音がする。
 ゆっくりと目を開け、少しずつ身体を動かしてみる。

「D−エンジェル『リナ』。聞こえるわね」


 この声は……そう、シェーラ……


「起きなさい」

 言われるままに身体を起こす。
 生命の水を吸った羽根が重い。
 まとわりつく髪を掻き上げ、あたしはポッドから身を起こした。
 ポッドを囲む白服の人達から感嘆の声が挙がる。
「素晴らしい……」
「さすが、メタリオム社最高のDマイスターゼロス」

「目が覚めましたね。リナさん」

 近づいてきたのは、あたしの製作者。マイスター・ゼロス。
 この後開かれるお披露目のパーティー。その時からこの方は、あたしのただ一人のマスターになる。
「自分のするべき事は分かりますね」
「はい」
「よろしい。では身支度をしなさい」
「はい」

 別室で用意された衣服を身につけ、髪を乾かす。
 鏡に映った自分に、微かな違和感を覚えた。









 お披露目パーティーまで、あたしは言われた通りに過ごしていた。
 なんの疑問を抱くことなく、命令されるままに行動する。それがあたしの務め。
 そんなある日、閉ざされていた部屋に入る許可があたしに与えられた。
 その部屋に足を踏み入れたあたしは、成人して初めて空を見た。
 青い青い空。


 なぜこんなに懐かしく思うんだろう……


 飽きることなく空を眺めていると、三羽の小鳥が目に入った。真紅と瑠璃、そして虹色の羽根の鳥たちは、まるであたしを呼ぶかのようにガラスの向こうを飛んでいる。
 自由な鳥は、あたしとは対局に位置する存在。
 あたしの翼は、単なる飾り。どこかへ行く為の物でなく、ただマイスターに誉れを帰する為の物。今まで実際に飛ぶことの出来るエンジェルタイプのDollは存在していない。
 お披露目で飛んでみせれば、それはマスターとなるあの方にとって何よりの賛美となるだろう。
「リナ」
 振り返るとシェーラがあたしを睨んでいた。
「何ぼんやりしているの。呼ばれたのに気がつかなかったの」
「すみません」
「早くしなさい。お披露目の準備があるんだから」
 せき立てられるままに部屋を出る。

 あたしのお披露目まで、あと少し。









 重いビロードのカーテンの向こうから、沢山のざわめきが聞こえてくる。あたしはそれを椅子に座ったままじっと聞いていた。
 
「皆さん、本日は良くおいで下さいました」

 カーテンの向こうからマイスター・ゼロスの声が聞こえてきた。いよいよお披露目が始まるらしい。
 あたしは小さく溜め息をついた。
 こうやって、沢山の人の前でお披露目を行いマスターを選ぶ。それはあたし達Dollに唯一与えられた権利だという。
 けれどそんなのは茶番劇でしかない。現にあたしのマスターはもう決まっている。
 成人する、ずっと前から。あたしは、マイスター・ゼロスの物になる事が決まっていた。
 それでもお披露目が行われるのは、あたしが自分の意志で決めたようにするため。最初から決められていたなど分からないように。

 無駄なことだとは思う。でもそうする事をマイスターが望んでいるのなら、あたしにはそれを実行する義務がある。
 何も考えない。感じない。


 あたしは、Doll。生きた人形なのだから。


「それでは、ご紹介します。
 我が社の最新作。Doll−エンジェル・『リナ』です」

 声と共にカーテンが開かれる。
 眩しいくらいのスポットライトに照らされて、あたしはゆっくり立ち上がりマイスターの隣りに並んだ。
 ざわめく沢山の客の前で、教えられた通り一礼する。

「さぁリナ。皆さんの所へ。
 そして選びなさい。お前のただ一人の主、マスターを」
「はい」

 白いドレスを揺らし、あたしは高く作られた壇の端に進み出た。
 集まった客達の訝しげな表情が見える。
 無理もない。ここから下まで、飛び降りるには高すぎる。もちろん階段など用意されていない。
 視線が集中する中、あたしは背中の翼を大きく広げふわりと宙に舞い上がった。

 音もなく客達の中央に舞い降りる。
 一瞬の静寂。そして割れるような歓声と賛辞が降り注いだ。



 教えられた通りの順番で挨拶をしていく。
 楽しそうな笑顔。優雅な物腰。
 全て、マスターとなるあの方の物。あの方に最高の賛辞が行くように振る舞う。それがここでのあたしの役目。

「初めまして、リナさん。私はスィーフィード・コーポレーション総帥、ルナ=インバースよ」
「初めまして」

 スィーフィード・コーポレーション……
 そう。マイスターの会社のライバル企業。その総帥である女性は、マイスターと同じか下くらいに見えた。
 でもそのまっすぐな瞳は、今まで挨拶してきたどの人とも違う。
 何だろう……

「いい目をしているわね」
「え?」

 予想外の事を言われ、思わず首を傾げてしまった。
 するとルナ様はくすくすと笑った。

「ふふ、ちゃんと感情が働いているようね。良かったわ」

 言われている意味が分からずに困惑するあたしに、ルナ様は優しく微笑んで言った。
「貴女には心がある」
「ここ……ろ?」

「そう。貴女だけの心が。
 よく考えなさい。そして感じなさい。貴女が真実に求める相手を。
 誰かに強制されたのではない、貴女が本当に必要とする相手を。貴女の魂を満たす相手を。
 大丈夫。必ず見つかるから。

 貴女だけの、大切な人が」

 あたしは、ただ吸い込まれるようにルナ様を見つめていた。
 一つ一つの言葉が、まるで乾いた地面にしみこむ水のようにあたしの中に入ってくる。


 あたしが、求める人。

 あたしが、必要とする人。

 決められたのではない、あたし自身が必要と感じる人。


 ルナ様と別れた後も、その言葉がずっと引っかかっていた。
 何かが、心の奥底にあった。ルナ様の言葉に反応する、何か。でもどうしても思い出せない。
 もうすぐ、全ての人との挨拶が終わる。そうすれば、あたしはまたあの壇上に戻り……マイスターを……


 そこまで考えを巡らせ、あたしは凍り付いた。

 言えない……マイスターを……と、呼べない。


 理由が分からないまま、あたしは全ての人と挨拶を終えていた。


「それでは皆様、お静かに。
 さぁリナ、告げなさい。お前が仕えるただ一人のマスターの名を」

 期待に満ちた眼差しが集中する。


「私の………マスターは………」

 その時だった。
 唐突にあたしの頭に浮かんだのは、金の髪に蒼い瞳の男性。でもどうしても名前が思い出せない。
 会いたい。
 声を聞きたい。
 心が悲鳴を上げる。呼びたいのに、呼べない。

 あたしの目から、涙が零れ落ちた。


ばたんっ!!


「な!?」
 突然お披露目会場の扉が開け放たれた。飛び込んできたのは……何頭もの犬たちと、小さなサル。
「Puppetだと!?」
「何だこれは!?」

「何やってんだよリナ!」

 犬の頭に乗っかっていた一羽のオウムがいきなりあたしを怒鳴りつけた。
「まったく、俺は鳥目で夜は苦手だっていうのに面倒かけやがって。何こんな所でぼんやりしてんだよ!」
「え………え?」
「おらさっさと帰るぞ!ったく、いつまでも面倒かけてんじゃねぇよ」

 この口の悪いオウム……
 そして会場に飛び込んできた犬とサル……


「何をしている!さっさと追い出しなさい!」
 シェーラが声を荒げる。
 そうだった。
 前にも、こんな風に飛び込んできて……助けてくれた。

「マイスター・ゼロス」

 あたしの声に、ざわめいていた会場が静まりかえった。

「今まで、ありがとうございました」

 あたしのセリフに、ゼロスの表情が固まった。

「あたし、行きます。マスターの所に」

 そう言うと同時にあたしは背中の翼を大きく広げ、飛び立った。
 慌てて扉を閉ざそうとする係りの者を、ポリスやクッキー達が押さえてくれている。その脇をあたしは風のようにすり抜けた。
 あたしの後にポリス達が続き、ビルの中を駆け抜けていく。
 呆気にとられる職員達の間を飛び越え、あたしはビルの外に飛び出した。


 翼で風を捕らえ、遙か大空に舞い上がる。
 肩に乗ったパンチパンチが行き先を教えてくれた。
 ちらりと後ろを振り返る。まだ追いかけてくる者の姿は見えない。でもきっとそれは時間の問題。
「急がなきゃ……」
 もう二度と、引き離されたくない。


 帰らなきゃ。

 あたしの、たった独りのマスターの所に。









 見慣れた建物にほっとする。
 外と繋がる出入り口で、二羽の小鳥が待っていた。
「瑠璃!玻璃!」
 あたしが成人した後も、会いに来てくれた。
 でも、あの時のあたしはみんなの事が分からなかった。
 それでも、来てくれた。そうでなければ、あたしはここには来られなかったんだ。
「シーザー、みんなも……覚えててくれたんだ、あたしの事」

「……リナ」
「ガウリイ!」

 みんなの後ろに、ガウリイがいた。
 どうしたんだろ……なんだか困ったような顔をしている……

 急に胸がどきどきしてきた。

「ガウリイ……言ったよね。大人になったら、来ていいって」

 ガウリイは何にも言わない。

「あたし、大人になったんだよ……」

 やっぱり、何にも言わない。
 沈黙に耐えられなくて、あたしは一歩踏み出した。

「リナ」
「……何」

 どうして黙っているの?
 やっぱり、あたしはここに来ちゃいけなかったの?
 どんどん不安になってくる。もしガウリイからそう言われたら……

「何やってんだよオメーは!!」

 ざく★

「ってぇ!こらインフォ!今刺さったぞ!」
「何うじうじしてんだよ!みっともねぇ!
 リナに言ってやることがあっただろうが!!」

 インフォがガウリイの頭をつつき回っている。
 インフォだけじゃなかった。瑠璃や玻璃や、パンチパンチ達も。

「そうですよガウリイさん。女の子を泣かせる……それはすなわち悪!」
「アメリア」
「お久しぶりですvリナさんたらすっかり美人になっちゃって♪」

 アメリアは全然変わってない。

「そうですよ。あの後毎日ぼけーっとしてたのに、まさかいざとなったら何も言えないなんて、そんな情けない事しないで下さい」
「そうそう。男なら自分の思いくらいちゃんと言わないと。な、俺の愛しのミリーナ」
「戯言は置いておきます」
「しくしく……」

 ミリーナもルークも。相変わらずフラれているのが可笑しい。

「早くしないと、五月蠅いのが大勢押し掛けるんじゃないのか?」

 そう言ったのはゼル。
 ちらりと外に目を向けて、それからあたしの方を向いた。

「どうするんだ?ガウリイ」

 ガウリイだけ、まだ何にも言ってくれない。


「ガウリイ、あたしお披露目飛び出して来ちゃった」
「………」
「マイスターをマスターって呼ぶように言われたけど……やっぱり出来なかった。今頃大騒ぎだね。きっと」
「………」
「ね、あたし達Dollは必ずマスターを持たなくちゃいけないの?」
「……あぁ。
 もし見つけられなければ、マイスターの所に留まることになる」
「あたし、あそこに居たくない。ここに居たい。
 ……ガウリイと、一緒に居たい。…………駄目?」

「………駄目じゃ、ない」

 やっと、ガウリイが笑ってくれた。

「………マスター」

 あたしはガウリイに抱きついた。
 ここがあたしの帰る場所。やっとみつけた、あたしの居場所。



 それから少しして、ゼロスが車でここに来た。
 有無を言わさずあたしを連れて行こうとしたゼロスから、ガウリイがあたしを引き戻した。
「俺がリナのマスターだ」
「なっ」
「そうです!あたし達みんなリナさんがガウリイさんをマスターって呼ぶのを聞きました!」
 あたしは隠れるようにガウリイの背中にしがみついていた。

「あらあら。それじゃ仕方ないわね」

 笑いを含んだ声。
「マスターを選ぶのはDoll達の唯一の権利。彼女がここに居る事を望むのなら例えマイスターといえどもそれを阻んではいけない……
 そうでしたわね?マイスター・ゼロス?」
 ルナ様はそう言いながらあたしに近付いた。
「見つけたのね?貴女が心から望む人を」
「はい」
「おめでとう、リナさん。
 ガウリイ?ちゃんと守ってあげなくちゃダメよ?」

 くすくす笑いながら、ルナ様はゼロスに何か囁き帰っていった。
 ゼロスは……悔しそうにしていたけれど、その後すぐ帰っていった。









「いらっしゃいませv『Puppetの森』にようこそ」
今日も沢山のお客様がやってくる。
そのお客様を迎えるのが、あたしの仕事。
一番大好きなあたしのマスター、ガウリイと大切なお友達のいる場所。


 ここが、あたしが帰る場所。





 END








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