穏やかな日に、この幻の痛み(ファントム・ペイン)はひどく呪わしい。
a painful smile
「……あー……さすがに、いきなり来るときついなあ……」
麗らかな日差しの下。 住宅街の道路とその脇の植え込みを区切る人の腰の高さほどの石塀の上に座り込んだ少女は、 先程からその細く小さな手で制服の紅いブレザーの胸元を押さえている。
色素の薄い髪を頭の上でツインテールにし、リボンを結んでいる。 今は憂鬱げに伏せられた瞳は大きい。幼い印象を持つ少女の瞳にはしかし強い意志が宿っている。
息を整え、がばりと身を起こす。ツインテールの髪が揺れ、大きな瞳が見開かれた。
路の向こうから歩いてくる一人の少年。顔に比べて小さなレンズの眼鏡をかけ、 つんつんと逆立った髪の色は紫に近い赤で、 両耳に付けられたイヤーカフスが陽光を反射して金色に輝いている。 軽薄そうな印象が先に立つ高校生ほどの年頃の少年は、まっすぐ少女のもとに歩いてくる。その両手には、年頃の少女が好んで食べそうなクレープがそれぞれ納まっていた。
「こーすけ君!こっちこっちー」
ツインテールの幼い印象の少女が来い来いと手招きをする。少年は少女の横に腰を下ろした。
「……お前、大丈夫か?」
「ん、へーきだよ。いつもの事でしょ?」
気遣わしげに言った少年にぱたぱたと手を振って応えると、 少女は少年の手からひょいとクレープを持ち上げる。
嬉しそうに口元を綻ばせると、そのままそれにかぶり付いた。
いつの事だったか。あどけない顔をした彼女は胸に手を当ててこう言った。
―これを取って命が生まれたんなら、呪われたあたし達からは何が生まれるのかな?
そう言った彼女の表情がどこか寂しそうだったので、わざと軽薄そうな物言いを選んでこう言ってみた。
―旧約聖書だよ?有名な話なのに。
―そんなこと知るかよ。カミサマでもあるまいし。
言ってしまってから、正直しまったと思った。
―……こーすけ君のばーか。
彼女はいつものように、自分を見上げてそう言ったけれど。
これはゲームだ。命を賭けた。
運命を相手にした崇高にして壮大なゲーム。
そして、今行われているゲームは彼女の猟場(フィールド)だ。
「包囲網の鍵」
どうやら彼女は突破口を見つけたらしい。
六個の弾倉のうち五発までに弾を込めたロシアンルーレットだ。
危険極まりないことに変わりはない。
それでも、隣で無邪気にクレープにぱくつく少女の意志は揺るがない。
どこまでも、その微笑みは愛くるしい。
……そこまで行くか?理緒……。
喉元までせり上がってきた言葉は音にならなかった。
「あたしは自分の運と力を信じてる」
にこりと笑うその笑みがどれほど胸に痛くても、必ず帰ってこれると断言されれば引き止めることは出来なかった。
コンコンコン。
ドアを開くと真っ白な部屋の中。
「あ、ひさしぶりー」
ベッドに横たわった少女は点滴の管が差し込まれていない方の手をぱたぱたと振って、訪問者を出迎えた。
訪問者はそれには応えず、ずかずかとベッドの傍まで歩いていくと脇に置いてあった丸椅子にどかりと腰を下ろす。
そのまま何気なく横を見る。ベッドの脇に吊るされた、生理食塩水と鎮静剤の点滴の袋。
「……お前、馬鹿か?」
憮然とした口調でそういうと、少女はえへへと笑う。
「そうかもしれないねー。でも、おバカさんに言われても痛くも痒くもないよ」
「痛いのはお前の胸だろうが。派手に爆破しやがって……」
「ゆっくりお昼寝できるから、そのうち直るって」
……人の気も知らないで。
毒づき損ねた言葉は安堵の混じった溜息に変わる。
自覚のない微笑みはまだ見るたびに胸に痛いが、約束を違えなかった少女がここにいることが嬉しい。
「……じゃ、俺はラザフォードの所に行って帰るわ」
そう言って部屋を辞そうとした彼を、少女は呼び止める。
「あ、今度はお土産つきで来てねー」
出来れば網目模様のメロンがいいな、と言って彼女は微笑んだ。
無邪気で優しい笑みだった。
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